ミニ郷土史 写真で見る仁保の半世紀1(2013年6月1日)
黄金山から仁保小学校方面を望む。
(なお、左上の写真は、この半世紀間の広島市の都市化と仁保・東雲の変化についての非常に貴重な資料。写真から読み取ることのできる郷土史のテーマとしては、例えば、戦前の都市計画と国道2号線・仁保橋整備の経緯、仁保・東雲の土地利用の変化、地域交通(広電バス4号線・7号線)の変遷等)
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(左上)昭和35年(1960年)ころ    (右 上)平成15年(2003年)ころ   (下)平成21年(2009年)
【説  明】
左上、右上、下ともに写真中央の建物が仁保小学校。昭和12年(1933年)、大町(現在仁保1丁目)から当地に移転・開校。
左上写真は、開校当時の木造2階建校舎。昭和40年代初頭から10年近くかけて右上写真のとおり鉄筋4階建てに建て替えられた。
軟弱地盤を改良するため、コンクリート杭を30mほど打ち込むという話を聞いた。コンクリート杭を打設する音ガうるさかった。
仁保小学校の少し上の建物の一群が広島大学教育学部東雲分校
と付属東雲小・中学校。戦前からの地元の人は、広島大学
となっても県師範学校の愛称である「県師」と呼んでいた。教育学部東雲分校は、
平成7年(1995年)に東広島に移転。
右上の写真には、撤去される前の分校校舎が見える。
東雲小・中学校は現在でも当地にある。その上が猿候川。
左上の写真の仁保小学校の下の幅広の黒い線のように見えるのが旧渕崎港。同じく右側の字型の少し幅広の黒い線のよう
に見えるのが旧東雲用悪水路。渕崎港、用悪水路ともに昭和40年(1965年)前後に埋め立てられ、現存しない。
なお、用悪水路の跡は、東雲の堤防道路から東雲町内に降り、国道2号線につながる道路敷となっていたが、昭和60年
(1985年)代初頭の南工場の改築により一部道路の法線が変わり、次いで、最近都市高速2号線の建設に伴い再び法線が
変わり、かつて水路の跡は消えつつある。
下の写真が現況に最も近い。右上の写真と比較すると、猿候川を横切る
都市高速2号線が完成しており、また、旧教育学部東雲分校校舎は撤去され、代わりに都市高速2号線への接続道路になった。
(写真は大下隆雄。説明文は吉岡出雲。)